人間不信のマゾだからシャトルランが大好きだった
小学、中学、高校をふっつーーに通っていると
必ず経験する、「体力テスト」。
ご存知の通り、
100M走、握力測定、反復横跳びなどのパワー系種目や
長座体前屈など柔軟性を測る種目を何日かで測定し、
自分の体力レベルを知る、というイベント。
運動部的には普段の体力づくりの結果を発揮できる
良き機会として、張り切っているヤツも結構いるものだが
文化部にとっては地獄でしかないというのが共通認識だった。
そして地獄の中でも最凶最悪と謳われている大魔神。
それは
シャトルラン
である。
シャトルラン
- 20m間隔で平行に引かれた2本の線の一方に立ち、合図音に合わせて他方の線へ向けて走り出し、足で線を越えるかタッチし向きを変える。次の合図音で反対方向へ向けて走り出し、スタートの線を足で越えるかタッチし向きを変える。合図音に合わせてこの走行を繰り返す。
(Wikipediaより引用)
要は、自分の限界まで単調な音に乗って無限に走らされる、というもの。
やめようと思えば20mで終わるし、
続けようと思えば10km以上も続く。
自分の精神力を試されるみたいで嫌だよね、
いかに苦しいアピールをして早いうちに脱落するかがポイントだね
などと、私も含め運動の苦手な連中は、体力テストの待機中に
ボソボソ言い合っていた。
私もその場では早く終わって欲しいね。と口裏を合わせていた。
しかし私はマゾである
しかし私の本心は違った。
究極に目立ちたがりで
究極まで苦しんで結果を出すのが大好きで
応援されるのが大好き
だけど、なんの取り柄もなくて、
いっつも客席側で応援しているしかなくて。
そんな私にとって、頑張れば、苦しみに耐えれば主役になれる
シャトルランは最高のステージだった。
最後の1人に残りたい…!
みんなから注目されたい!!!!
そんな思いを胸に、ドキドキのシャトルランは始まる。
テレレ
ど れ み ファ そ ら し ど
テー
高校生シャトルラン女子平均は46回。
当然、 50回あたりまでくると多数の脱落者が出てくる。
「もうだめ〜」
「リタイア」
「終わり〜。」
など、息の切れた声が隣から聞こえると
肺が圧迫されて苦しい感覚と、
また1人減った!と言う高揚感で
体育館の白い折り返しラインが
キラキラ光って見えて、どうしようもない充足感に襲われた。
きっと薬物摂取した時ってこんな感じなんだろうなって
酸素の足りない頭で考えていた。
そしてどんどんスピードは上がっていき、
ついには84回目に到達していた。
残っていたのは私と、もう1人の女の子。
彼女はクラスで一番、
成績が良くて、
絵がうまくて、
よく笑う、優しい、努力家の子だった。
苦しかった。
まさか、彼女もここまで残るとは!!
悔しい!!
あなたは何もかも、私よりも優れているというのに!!!
かなり堪える。
手足や関節の激しい痺れ、
耳鳴り、とてつもない頭重感、
灼けつく肺の痛み、
空回った呼吸音…。
これらをどうにか快感へ変えなくてはいけない。
私には堪えることしかできないんだ、
これ以外じゃ勝てないんだから、
負けちゃダメだ、
みんなも見てる
いつもは誰も見てくれない私を、
こんな、醜い私を、
汗と、涙、と、鼻、水と、で塗れた、私を、
みんなが見てる!!!!!!
その後、86回目に
念願叶って私は最後の1人となった。
本当に気持ちが良かった。
何にも変えがたい、まごうことなき快感であった。
頑張れー!!と言う声援、
こんなに苦しいのに耐えている、と言う自己肯定感
体育の先生のアツい眼差し、
最高………。
一生このままがいいのにな。
そう思った瞬間、
ちょうど折り返し地点のラインの上で
何もかもぐじゃぐじゃの私はぷっつり倒れてしまい
そのまま保健室へ運ばれ、
記録は88回で終了した。
保健室でしばらく安静にし、視界がはっきりした頃
養護教諭の先生にお礼をし、教室へ戻る。
すると何人かの子が心配して話しかけてくれた。
「もう平気なの?すごかったね。」
「頑張りすぎだよ。気をつけてね。」
「かっこよかったよ。あんなに走れるんだね。」
本当に優しいクラスメイトらに私は心からありがとうと伝えた。
しかし
((こんなに褒めてくれるなんて、不思議だなあ。
褒めてくれても私、今日お菓子とか持っていないから
何もあげられないのになあ。))
私にはクラスメイトの言葉がまるで
他人に向けられていたかのように思えてしまった。
こんなにも褒めてくれているのに、あんなにも褒められたかったのに、
あの、倒れる直前の、麻薬のような喜びは得られなかった。
それはなぜなのだろう。
人は皆、自分を守るための盾を持っている。
笑顔、社交性、寡黙さ、わるぐち、涙、多弁…。
様々な盾で自分を武装し、生きづらい世の中で懸命に戦っている。
私にとって、「不信」と言うのは大きな盾であった。
良いことも、悪いことも、深く心に差し入れない。
それで私の世界は均衡を保っていた。
彼女らの優しい言葉が響くことはなかったのは、
体力も回復し、心がいつも通りの
分厚い盾に守られていたからなのだと思う。
しかし、シャトルランは一時的に、私の重すぎる盾を
剥がしてくれたのだ。
何もかも剥き出しで、本当に全てが限界。
どこかを突かれたらジェンガみたいに崩れ落ちてしまう。
でも、そんな状態だからこそ、
「頑張れ」
と言うあの声が、狂おしく、愛おしかったのだ。
高校を卒業し、運動も別段好きではない私は
体力テストの存在など日に日に忘れ、この記事を書くまでは
競技の名前すら9割型思い出せない。
それなのに、長距離を懸命に走る人をどこかで見かけると
ふと、思い出してしまうのだ
ほんの少しのあいだだけ、私を主役にしてくれた、
苦しくて、大好きな、あの競技の名前を。