醜形恐怖症がデッサンモデルになった結果
黒々とした鼻腔が偉そうに顔のど真ん中に鎮座しつつ
左右非対称に重苦しい糸目
トドメにニキビで赤らんでぼこぼこの肌
自分の顔が憎かった。
小中学生の時代のスクールカーストとはもっぱら顔面偏差値で
構築されている。
そんな中で、目が細い、デブ、ガリ、メガネ、ブタっぱな等の
醜悪形容詞を当てられた子は、階級が高い子の暇潰しのおもちゃとなる。
当然、私もおもちゃの一つだった。
内容はよくある「ヒドイいじめ」そのものなので割愛。
それでも、汚れたおもちゃを大事にする"変な子"はクラスに数人存在した。
「人は外見じゃなくて中身なんだよ。」
イヤミでも嘲笑でもなく、不遇なおもちゃ扱いに疑問を抱き
善意の元に発せられた清らかな言葉だったが、
長年嫌がらせを受け続け、心まで赤黒い吹き出物だらけの私は
美しいその言葉が大嫌いだった。
笑顔でその言葉を口にする人々はみんな
顔も、心も、
私の何倍も美しい人だったからだ。
おもちゃとして遊ばれ続けた中学を卒業する頃には
私は他人に顔を向けて喋ることができなくなっていた。
相手が自分のニキビを凝視して気持ち悪がっているのではないか…
右目と左目の開き具合が違うのを見られたくない…
というか自分の息がものすごくくさい気がする…
本当なら化粧や美容に気を使い、微力でも美しくなる努力をすることが
最も傷付かずに生きれる手段なのだろうが
鏡を見ることすら苦痛、自分の顔なんぞに美容品を使うのは罪だと
認識していたので、結局泥沼に沈んで行くのみだった。
醜さを気にし始めると体がうまく動かず、
笑い方も不自然、会話もうまくいかない。
自分は顔が悪いだけじゃなくてコミュニケーション能力も無いのか。
と半ば絶望し、どうすれば改善できるのかをネットで検索し
ヒットしたのが醜形恐怖症。
簡単にいうと自分の身体における欠点に過剰に恐怖感や嫌悪感を感じ、
日常生活に支障をきたす、という病気。
どうやら投薬治療や暴露療法など、様々な治療法もあり、
きちんとした対応をとれば治る病気のようだったが、
自分の憎い顔のために一銭も金を払いたくなかった私は
苦しくない人との接し方を自分で考え、行動し、
結局病院へはいかなかった。
そして時は流れ、
生きづらさを感じつつも高校を卒業し貧乏な画学生となった私は、美大にて
「デッサンモデル募集」
という、樹齢1000年の木みたいに、重く激しく力強い字を、
山ほどあるバイト募集用紙の中から見つけた。
とっさに電話をしていた。
バイトの条件が良かったことと当時気持ちが安定していたのが大きい。
しかしそれ以上に、パソコンで作られたバイト募集用紙達の中、
一枚だけ直筆で、お世辞にも読みやすいとは言えないそれが、
どうにも私の心に響いたのだ。
プルルと呼び鈴が途切れ、無骨なおじいさんの声が聞こえた。
面接をするから土曜日に待ち合わせ。
簡単な連絡事項を聞き、通話終了を押して我に戻る。
私…自分の顔見られたくないのに
なぜ凝視されるバイトに応募した!!!???
ご存知だろうが、デッサンモデルとは美術作家や美大受験生らが
各々の作品制作のために、お手本として利用する人間のこと。
当然、目鼻立ちはくっきりしスタイルが良く、美しい人が人気のモデルとなる。
自分の行動への戸惑いはあったものの、
面接で私の顔やスタイルを見るや否や、躊躇いもなく落とすだろうと思ったので、
その時はただ自分の顔を呪うのみで、どうしようもない羞恥心や
憎しみには襲われなかった。
しかし、力強い字の無骨なおじいさんは、人とは少し違った目で私を見た。
あと私が力強い字の無骨なおじいさんだと思っていたのは、
思いの外よく笑う、おしゃべりな彫刻家のおじいさんだった。
「じゃあ、来週から来れるかな。うずうずしてるんだ。
君の細い腰でねじりポーズの作品を作ったら良さそうだ。楽しみだな。」
何もかもが予想外で、私は軽快に笑うおじいさんのまっすぐな視線を外しつつ、
思わず聞き返してしまった。
「私は、顔が美しくはないし、スタイルも。胸なんか無い同然で。
メガネは外したほうがいいですか、胸に詰め物をしたほうがいいですか。
本当に、私で良いのですか。」
おじいさんはまさに「鳩が豆鉄砲を食ったよう」な顔で答えた。
「何をもったいないことをいうんだ?リアリズムでいきましょう。」
私とて美術学生の端くれ。リアリズムくらいは知っている。
理想化された美を避け、現実を見つめ、内在する美しさを表現する。
近代に始まった美術用語である。
ただ、何気なく発したであろうおじいさんの言葉に、
私は脳の髄を思いっきり蠢かされた。
その言葉が脳に染み付いた私は、
断ろうと思っていたデッサンモデルを、始めてみることにした。
デッサンモデルは正直苦しかった。
見られているという実感と自分の身体への羞恥心。
今日で辞めよう。こんなに醜いものを見せてはならない。
毎回思うのだが、
「さかいさんは膝ががっしりと、立派に発達しているね。そうだね、
猿のままのやつと、人間になれたやつの違いが分かるかい。」
「…火を使うことでしょうか。」
「膝だよ。膝の力が発達しなかったやつは地上に降りれず、今でも木の上で
ウキウキやってるのさ。膝の発達は脳の発達。
さかいさんは今まで自分で物事を考えて、その足で立派に生きてきたんだね。」
と、軽やかなユーモア交じりに言われるものだから、なかなか踏ん切りが
つかなくなってしまうのである。
今まで、格安整形のサイトをブックマークし、鏡を避け、人の目に怯え、
ただ他人を憎んでいた。美しい人の美しい言葉も、醜い人の醜い顔も、
みんなみんな気持ちが悪い。
みんなみんな憎たらしい。
みんなみんな汚らしい。
ただ、そんな赤黒い吹き出物だらけの私の心でも、
おじいさんの目尻にある四本のシワと、
読みづらい手書きの募集要項だけは、
なんだか美しく思えてしまったのだ。