低所得者の夢が叶わない理由
「大学」なんてものはいざ通ってみると、
つくづく金持ちの遊び場だなあと思ってしまう貧乏人なのですが
低所得者の夢なんて一生叶わねえなって実感してしまった
出来事があるので語らせてほしい。
どの大学にも名前は違えど必修科目として登録されてるであろう
「あなたの将来設計を考えて幸せな社会生活をデザインしよう!」
的な授業。
私が受講したのは「キャリアデザイン」ってものなんですが。
そこで先日テーマとなったのは
「自分の欲求を叶える仕事を見つける」
ということ。
物が溢れた現代に新しい発明をしようったって
難しいし、無理して働くのもこのご時世にフィットしない。
だったら自分の欲を満たすためだけに何かをしてみる。
それが新しい仕事になっていくんじゃないかというお話だった。
「才能がなくたって、誰でも考えることができる」
「あとは本人の努力次第」
と、そのキャリア先生はおっしゃったが、
私は思った。
あ、これ低所得者には拷問だわ。
これ読んでるあなたはどうですか?
実家、太いですか?借金ありますか?
貧乏あるあるだと思うんですけど、
金がない人って、欲求が薄れていくんですよ
いやいや、貧乏ってがめついじゃん
欲まみれじゃね?って言われそうだけど
ここで言う欲はそう言うものじゃない。
例えば
「明日はお休みだけど、何がしたい?」
と聞かれた時、
貧乏は「家でずっと寝ていたい。」と言う。
この地点で、もし貧乏人がスキーに興味があったとしても、
スキーにかかる費用をもちろん用意できないので、
無意識のうちに思考から排除される。
同様のことが日常生活で絶えず脳内で行われる。
だって叶わない夢を見るのはひもじいだけだから
だったら最初から考えないようにする、
忘れてしまうってのは当然の流れなんだよね
でも生活にゆとりがある人は
「そういえばスキーをしたことがないな」
と言う取っ掛かりのみで、次の休みはスキーの予定を入れるんだろう。
そして「スキーの経験」や「スキーをした感情」を得る。
貧乏は生きることに精一杯なので
「意味がない」「コスパが悪い」「無駄」だと
自分が感じるものにお金を払うことが難しい。
でも、本当に意味のあるものとは往々にして
自分が意味ないと思っているものに隠れていたりする。
でもゆとりがないとそんなこと気付けないし、気付いても考えないふりをして
欲求を殺し、次の休みも寝て過ごす。
私の父母は金銭的な問題で大学へは進学しなかった。
しかし両親共々、本当は学んで見たかったと口を揃える。
だからこそ無理してでも私を大学へと送ってくれたのであろうが、
仕事帰り、父が疲労でフラフラになり
ご飯も食べず死んだように眠る様を見続けてきた私は
まさか、こんなに働いてくれてる手前「欲求」なんてさらけ出せねえよ…。
と、欲しかった何かをなんども口ごもり、いつか忘れてしまった。
やり遂げられないのを、夢半ばになってしまうことを
お金のせいにするなって言葉よく聞くけど、
だったら成功者であるあなたが多くの欲求を、
大学院へ進むとか、美味しいものを食べるとか、
綺麗な服を買うとか、当たり前の欲求を解放できてるのは
一体誰のおかげなんですかね
「欲求」は「希望」と言う言葉でも置き換えられると思う。
貧乏は希望を持つことすら叶わない。
私の欲求は今も昔も、夜は静かにゆっくり寝たい。
ただこれだけなんですけど。
「あとは本人の努力次第」で成功できるんですかね
教えてくれよ キャリア先生・・・